
ビー玉とかおはじきを舐めたいと思って
実行するやつとしないやつの違い

ビー玉とかおはじきを舐めたいと思って
実行するやつとしないやつの違い
移り住んで3ヶ所目だけど、家にいたら地元へ帰りたくなるし、地元に帰ったら家に帰りたくなるよ。どこにいてもわたしの居場所はここではないと感じてしまって、根無草のような。
妹がいつのまにか大きくなって、母と妹が仲良く喋っているのを見ると、驚くほどわたしと母の関係性とは違うから、嫌な気持ちになった。わたしとも仲悪いとかいうわけじゃ無いんだけど、ちゃんと「親子」してたから、エッそういうのできるんだ、と思ってしんどかった。
なんかこんなん書いてたら地元べつに帰りたくないって思い始めてきた
さらに言えば、わたしのほうが仲良かった(と思っていた)友達2人も、いつのまにかその2人のほうが仲良くなっていた。南無。
地元を離れて10年近くなるし、そんなことは当たり前で、嫌な気持ちになっているということ自体がおかしなことなんだけど、許せない、という言葉がなぜかしっくりくる。
こういう気持ちになるから、こういう気持ちにならないようにしてるから、つらいときに手を差し伸べないから
越してきて、いつものごとくすごく心配されるけど、わたしはどこにも行っていません。毎日ストレスで爆発しそうだけど、耳も聞こえなくなるし、目眩もするけど、わたしは一人で、どこにも行っていません。
いま与えられた役割を果たすために生きています
逃げても逃げても救われる。救われるのに逃げている
調べてみたら
おさめとって捨てない、背を向けて逃げるものを見放さず、追いかけて抱きとめるというのが、浄土真宗の救いだそうです
なんで逃げているのかはわからず
jちゃんにようやく荷物を送った。当初は長々と想いの丈を綴った手紙を書きたいと思っていたけど、わたしは気分屋だし、何を今更綴ることがあるのかと、とんでもなく痛いような気もするし、でもこの期に及んで痛いもクソもあるのかとか思ったりしたら、どんどん時間が過ぎて、さらに怒らせてしまったりもして、とうとうもう会えないんだろうなというところまでいってしまった
だからこそ、さっさと送らねばという気持ちにもなった。
ダンボールを取りに行くのが面倒で、郵便窓口の時間ギリギリになってしまった。今日送ろうと決めたときから手紙をギリギリまで悩んだ
そもそも書くか、書くなら何を書くか
jちゃんの荷物はちょうど大きめのダンボール一箱分だった。
この時点であと5分くらいで家を出ないと窓口が終わってしまいそうで、あんまり考える時間はなく、でもとりあえず手紙は書くことにした
長々書くのはなんかもう違う気がする、でもわたしの伝えたいことってなんだろう。終わってしまった恋に、今更いい顔をしても
最初の手紙は、嫌な気持ちにさせてごめんねって書き出しにして、3〜4行書いたけどやめた
嫌な気持ちにさせている本人が嫌な気持ちにさせてごめんねって書いてる時点で嫌な気持ちになりそうだ、というかjちゃんはそもそもわたしからの手紙なんて1mmも望んでない
くだらないこととか意味のないことならいくらでも話せるのに、どうしていつも一番何かを伝えたいときに言葉が出ないんだろう
この前の送別会もそうだった、周りも相手も気にしてくれたのに、どんな言葉も陳腐な気がして、言葉が出なかった
わたしの気持ちにあてはまる言葉が無かった
jちゃんに対しても、あてはまる言葉が無かった
結局、遅くなってごめんねとありがとうの2行しか書けなくて、封筒に靴下が片方しかなかったことを書いた
ダンボールを抱えて郵便局に走るわたしは、もうこれまでみたいにくだらない話を聞いてほしいと思っていない
jちゃんは手紙を読まない気がする
言葉が出てこないから下書き往復
心の中で何回も人の不幸を願ってるけど言葉にはしてないから誰も傷つかないよ。ただ思ってるだけ
空港と思われる場所にいて、必死でわたしはトイレで踏ん張っていたわけなのだけれど、出たら高校の友達がいて、男の子が産まれたつって渡されたのがやけにリアルすぎた。そしてわたしは、エッ服汚れるんだけどこのまま渡されるの!!?と思いながら産まれたばかりの赤ちゃんをめちゃくちゃびびりながら抱っこしたところで目が覚めました
下書きに保存されてたいつかの夢なんだけどなんだかめっちゃ運の良さそうな夢じゃない?
わたしは遊びに誘われるのが苦手だ。やむを得ず先の日程の予定が決まった日には、カウントダウンが始まる。まだかまだかと指折り数えてしまうから、前日にはようやく来たかとうんざりしてしまうのである。もちろん、全てが全てそうではなくて、気負わない遊びも存在するし、思い立てば吉日なのだけれど、誘われると行くか行かないかの2択に迫られて、断ろうものなら次の予定は行くの1択になるのが未来の借金だと感じる。でも本当は遊びに行きたいので、いざ断わると今度は行けば良かったかもしれないと少し後悔する。どちらにせよ無駄に精神負荷がかかるので、向いてない。つまり、待ちすぎて待ちきれない女なのだ。
今日読んだ小説に真面目だからこそ楽しむことに罪悪感を感じてしまうと書いてあったが、まさにその通りでわたしは楽しいに全振り出来ない人間だと思う。楽しいは真面目さを土台にして成り立つのではなかろうか。幸せとバランスを取らなければ。真面目に生きなければならない使命感。でも最近は少し薄れてきた気もする。真面目に生きていても幸せになれるわけではないと、わたしより遥かに真面目で徳の高い友達も言っていた。
プリンエルのプリンが人工的な味でわたしはすき