だれかの充実した一日

米津玄師と有働アナの対談で、米津さんがlemonの大ヒットに対して「普遍的になればなるほどあぶれる人間を生み出していく」って話をしていて、特にファンでは無いししょーみ曲も大して知らんけど、そんな人間にも届く曲がつくれる人って感じがした印象的だったのでめもめも。

仕事中に「誰もが受け入れる言葉よりも、良くも悪くても尖っているものの方が心に刺さる」って言葉を聞いて、すごく心に残ったんだけど、心に刺さるものが結果普遍的になるとき、わたしたちは受け入れるか受け入れないか選択をしているのでは?マイノリティであることを誇るのか、恥じるのか

あぶれないというのは、属さないということだと思うんだけど、じゃあわたしはどこにいる?って足が竦んじゃうってことはあぶれているということなの?全てはわたしとあなたの評価な気がする。

なんでそんなふうにしか生きられないの?って言われて、だからしにたいですってかんじです

切り取られた一部分って分かっていても、だれかの充実した一日を羨んでる。

わたしもそんなふうに見えてる?