なし崩しは選んだうちに入る?

じつはひさしぶりに出張がてら会いました!なんか逞しくなった(精神が)と3回くらい言われて、これはコイツに振られたら婚期を逃すフラグ立ってるなーと思ったよ。つよい女は男的にギリセーフかもしれないけど逞しい女は語感的にも無しでは?逞しいのは脚だけにしたいですね。久しぶりに会うのに10分も待たせんじゃねえ5分前行動だろ!と喝を入れてスタートしました。そして家にあったホリエモンの経営ノウハウ本?自己啓発本?読んでもないけどタイトルが気に食わなくてケチをつけたよ。ゼロ なにもない君へ(うろ覚え)みたいなタイトルだったんだけど私的みんなイチを持っていてどうにか活かしたいのに出来ない自分に苦しいと思ってるんじゃないのかって力説したけど中身を読んでないのにケチをつけるおこがましさよてか賢いひとの目指している高みは我々の思うゼロベースとはレベルが違うのかもしれないと書いていたら改めて思いましたどうでもいいことをいっぱい書けるひ。お誕生日に挑戦のパレットを買ってもらったんだけどかわいくてハッピー!自分では買わない良いものを頂くのは挑戦と門出を祝われている感じがします

いまから50ふんくらい電車に乗るのでもうちょっと書けそう

もやもやしてることのいくつかのうち、「受け入れられないこと」があって、わたしは自分が許して貰うことで満たされているのに、相手を受け入れられないっていう矛盾を抱えてる。受け入れ難いことっていうのは根深くて自分の生きていた環境とか境遇によるものだから、簡単には肯定出来ないとおもう。他人は違うのに、そういうひとと出会う人生を選択していたことに驚いて、目には見えない部分でそうなるようにできているとしたら恐ろしいと思った。わたしが出会ったひとたちは、紛れもなくわたしが選んだいくつかの選択肢に付随する要素で、わたしはこの人たちの何かしらの要素を持ち合わせている?というかこの人たち、実はわたしを構成している?と言ったような小説を書こうかと思ったけど、今こうやって書いてるだけ意味ワカランのでやはり検討します。ひぐらしにすっごいハマったんだけどめちゃめちゃ心に残ったのは、人間はいくつも選択しているけど、幾つかある選択肢のうち選ばずに流れに身を任せるっていう選択がある、でも自分で選ばない人生に価値は無く、同じ選択肢を自分で選んだときと違った人生を歩むことになるっていう言葉で、とてもぐっときた。選べなくてもいずれは選ぶ日が来るよね